臼井城をめぐる大戦は佐倉勢の一勝一敗。 太田道灌の弟、太田図書助資忠(おおたずしょのすけすけただ)の勝利と討ち死に

戦国時代、佐倉一帯は下総の雄である千葉一族に治められていました。

当時の千葉一族の本拠地は本佐倉城。京成本佐倉の駅からほど近い、北側に印旛沼を擁した天然の要害でした。

その千葉一族の家来筋ではあるものの、武力としては本家をしのいでいたとも言われるのが、臼井城を本拠地とする臼井一族です。

さて、この臼井城は、千葉一族の勢力に襲いかかる上杉勢との、最前線の城でもありました。

 

臼井城籠城戦として記録に残っている二つの戦のうち、文明11年(1479)にあった最初の戦で臼井城が落城していた、というのは、意外に知られていない史実です。

このとき、上杉方の武将として臼井城を攻めたのが、江戸城を築城したことで有名な太田道灌の弟(一説には甥とも)、太田図書助資忠でした。

また、この太田図書という人物、臼井城籠城戦で勝ちはしたものの、討ち死にしているのです。現在でも、臼井城跡の近くに、太田図書の墓と伝わる石碑を見ることができます。

さて、この激戦でいったんは落城した臼井城でしたが、どういう経緯かすぐに千葉一族、臼井氏連合軍に奪還されます。戦国時代の、激しく動く勢力図を見る思いがします。

ちなみに、二つ目の籠城戦は、永禄9年(1566)上杉謙信本人が臼井城を攻めたものの、見事臼井城側が上杉勢を撃退したのは比較的有名な話です。

 

そんな戦国時代の激戦を思いつつ、臼井城址を散策してはいかがでしょうか。

臼井城址には、小さいですが駐車場もございます。道が狭いので、お車の方はご注意ください。