佐倉市域・中世末期の石造物と銚子石(銚子砂岩)について

佐倉にある銚子石の石塔たち

室町時代の後期から江戸時代のはじめまでのごく短い期間、佐倉市域では銚子石の石造物が多くつくられました。
銚子石というのは、文字通り銚子でとれる石なのですが、砂岩ですので長期間風雨にさらされるともろいという特性があります。
室町後期といえば、佐倉市域は、いわずと知れた「佐倉千葉氏」の縄張り時代です。
そんなわけで、千葉氏の慰霊塔としてある勝胤寺や海隣寺の石塔群のほとんどが「銚子石」でつくられています。

とはいえ、勝胤寺と海隣寺の石塔を見比べてみると、色がずいぶん違います。

はじめて海隣寺の石塔群をみたとき、あまりにきれいなうすい褐色の肌合いに「イミテーションか?」と思ったくらいです。
確認したわけではないのですが、おそらく海隣寺のそれはどこかの時点で洗浄などの掃除をしたのではないでしょうか。
というのも、すでに絶版になっている「ふるさと歴史読本」の「中世の佐倉」に、海隣寺の石塔群が「灰褐色」で「コケむしているように見える」というような表現があり、実際に掲出されている写真も確かにそのとおりなのです。今の姿と比べると、これまたぜんぜん違う。むしろ、勝胤寺の石塔群の現在の様子に近いです。
この本が出版されたのが平成12年ですから、それから現在にいたるまでのどこかで、何らかの手が入ったとしか考えられないのであります。

銚子は犬吠埼の原石たち

前置きがながくなりました。
実は先日、銚子に行く機会がありまして、もしできれば「銚子石」ってどんなものなのか、現場でみたいものだと、漠然と思っていたのでした。
そんなことを考えながら犬吠埼灯台下の海岸に行ってみると、銚子石、ごろごろしてました。
これがそのときの写真です。

犬吠埼の海岸にころがる銚子石たち
犬吠埼の海岸にころがる銚子石たち

灰色のもの、薄茶色のものなどまちまちですが、砂岩独特の「ざらっとした」手触りが伝わりますでしょうか。
上の写真の一番手前にある薄茶色の大きな岩を見たら、こんどは現在の海隣寺の石塔の礎石の色と表面の感じをみてください。

海隣寺の石塔礎石
海隣寺の石塔礎石

そっくりですよね。当たり前のことなのですが、なんだか少し感動してしまいました。
おそらく、今私たちが見ることができるこれらの石塔の石は、銚子のこのあたりから切り出され、当時「香取海」と呼ばれた内海を使って船で運ばれてきたに違いありません。


現場で石塔を見ると、安山岩などの石塔と比べると明らかに風化の速度が速いことがわかります。おそらく、あと100年もすると彫り込まれた文字などはほとんど読めなくなるのではないでしょうか。

残念が気もしますが、慰霊塔という目的のとおり、寺域でひっそりと時代を刻むのが、いいのだろうとも思います。

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