佐倉城址公園。佐倉城→佐倉連隊→現在をつなぐ「夫婦モッコク」2

■大戦と兵士と夫婦モッコク

さて、そんな神々しい「夫婦モッコク」ですが、実はある人物の手により、イタズラ書きが彫り込まれています。
とはいえ、そのイタズラは1943年10月に、とある兵士により彫られたものです。時効が成立していると、広い心でお考えいただけると助かります。戦国武将が敵を刀で斬るって、現在の価値観からすればとんでもないことですが、当時はまぁ仕方がないことだったわけで・・・。ちょっと苦しいですが、過酷な環境下で訓練を受け、戦場に散る覚悟をもった名もなき兵士の心境を思い、大目にみてあげてください。

さておき、看板によると、幹に彫り込まれた落書きには
「昭和十八年十月」「砲隊」などがあるようです。
モッコクの周囲には竹垣がめぐらされており、幹に近づいてしげしげとイタズラ書きを見ることができませんでした。腕を伸ばして写真をとったのですが、私が確認できたのは
「佐野」と大きく書かれた文字のみでした。佐野さんなのか、「佐倉野戦部隊」などの呼称の略語なのか、確たるところはわかりません。
ミッドウェー海戦が1942年6月5日で、ここから日本軍は各地で敗走を重ねていきます。
1943年10月に、佐倉歩兵第57連隊に所属し、この地にいた人物であるということは、この後どこでどんな戦闘に参加したのでしょうか。手持ちにめぼしい書物がないので、wikiで調べると、1944年当連隊第三大隊がグアムに派遣され、8月彼の地で玉砕しております。
同年11月、フィリピンレイテ島オルモックに上陸した連隊の主力部隊は、12月には同島でほぼ全滅しております。
いずれにしても、この人物が大戦を生き抜いて終戦を迎えられた可能性はほとんどないようです。

江戸時代のどこかで、本丸の庭木として植えられたモッコクが、大戦のさ中にとある兵士の生きた証を刻まれて、今、万を数える木の葉を風にゆらせています。
佐倉城址公園に来たら、ぜひこのモッコクを眺めてみてください。

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