本佐倉城。「セッテイ山」の謎

本佐倉城跡には、エリアごとにいろいろな名前がつけられています。
「城山」や「物見跡」なんていうのは、だいたいなにがあったのかわかりますが「東光寺ビョウ」や「セッテイ山」なんて言われても、ちょっとなんだかわかりません(サンドイッチマン風)。
ちなみに、「東光寺ビョウ」は、現在でもなにがあった場所なのか不明だとのこと。「東光寺」というからには東光寺という名の寺があったのだと思いますが、現在建物がたっていた遺構らしきものは発見されていないのだとか。じゃあなぜ「東光寺ビョウ」と呼ばれているかというと、江戸時代に書かれた古地図にそう書かれているからで、その他奇妙な名前もその古地図に準拠しているようです。
さて今回は、その中でも際立って奇妙な名前である「セッテイ山」について、紹介いたします。

地図ではわかりにくいかもしれませんが、この「セッテイ山」アクセスが非常に不便です。
城を形成する舌状台地の西側に位置するこの山は、四方をかなり深い堀に囲われています。
今歩くと、誰かの訪いを拒むかのような、もしくは、誰かが外に逃げ出すのを阻むような意図を感じます。
「セッテイ」についてはいろいろな解釈がなりたつようですが、もっともメジャーなものが「接待」につながる、というもの。接待の相手は、北条氏や古河公方からの使者など、いわゆる賓客が想定されます。
しかし、接待の場ならもう少し気が利いた立地でもよさそうなものです。接待の現場に着くころには、賓客もすっかり疲れてしまってます。夏なら汗びっしょりです。
次に想像されるのが、捕虜収容所説です。佐倉千葉氏は、それなりに沢山の戦に参戦していますし、戦国大名に成りきれなかった「弱さ」故に、常に隣国との緊張関係があり、捕虜の交換なども頻繁に行われていた可能性があります。
そこで、「幽閉所」をして「セッテイ山」と呼んだ、という説です。一種のブラックユーモアですね。これは、ちょっと有力じゃないかと個人的には思います。
ちなみに、「余湖くんのお城のページ」というサイトに、この「セッテイ山」について、面白い考察が記載されていますので紹介いたします。

<以下「余湖くんのお城のページ」より抜粋。サイトはこちら>
「セッテイ」というのは何を表しているのであろうか。「接待」なのか。それとも、台地基部との「接続」に由来する言葉の一種なのか? 越後ノ丸殿は見張りが特に必要な所ということで「斥偵」ではないかという想像をしている。これもありそうだ。

また「摂提」という言葉もある。これは、北斗七星の柄の部分の三ツ星を総称したもので、千葉氏は妙見信仰であり、もしかすると関連があるかもしれない。本城地区全体を北斗七星の柄杓に見立てれば、セッテイ山はまさに柄の部分といえるだろう。また摂提には「木星が寅の方位にあること、もしくは寅の方角」という意味もあり、方位的にはだいたいあっているようである。しかし、どれが当たっているのか現時点では不明としか言えない。
<以上抜粋文>
なるほど、興味深いですね。語源は、必ずしも接待ではないかもしれません。

とまぁこんな次第。山の名前ひとつとっても、実にいろいろとあって面白いです。
この記事を読んだなら、ぜひ一度「セッテイ山」に行ってみてください。いろいろと感じることがあると思いますので。

最後になりますが、ちょっと紹介。
トップページからすらもリンクがたどりずらいのがタマニキズですが、酒々井町教育委員会のサイトには各種マップやプリント用パンフレットが充実していてすばらしいです。
ここからならダイレクトアクセスできますので、興味のある方はクリック!
これから本佐倉城跡に行ってみようという人はもちろん、すでに数回行ったよ、なんて人も、このサイトにある資料を丹念に読み込んでみると、思わぬ発見があるかもしれません。

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