上杉謙信の野戦陣地跡、臼井の一夜城公園について

◆はじめに

1566年、臼井城城主が臼井氏から原氏に変わってほんの数年後、上杉謙信が大軍を率いて臼井城に迫りました。過去、いくどもの激しい籠城戦を経験した臼井城の最期の大戦(おおいくさ)であるこの戦いは、フィナーレにふさわしく臼井城籠城側の勝利で幕を閉じます。
今回は、上杉謙信が新潟の地からはるばる臼井に押し寄せてきた理由を簡単に紹介させていただきつつ、そのとき謙信の軍勢が陣取った野戦陣地跡地の写真を掲載いたします。

◆戦国末期の情勢と謙信来襲

16世紀後半の関東は、小田原の北条、越後の上杉、甲斐の武田のいずれかの武将に遠くない将来飲み込まれるだろうと言われていました。とくに房総半島だけみると、北条対上杉の勢力争いが激化の一途をたどったのが、この時期の姿でした。
1563年と64年、二度にわたって北条派対上杉派の合戦が国府台の地で行われます。第二次国府台合戦と呼ばれるこの戦いは、上杉謙信が雪のため越後で足止めをくっている時期に一気に決戦に持ち込んだ北条が完勝したのです。
謙信としては、その状況を黙ってみているわけにはいきませんでした。このまま捨て置けば、房総半島はオセロゲームのように一気に北条の色一色に染まってしまうおそれがあります。
そこで、謙信は遠征の準備に一年をかけ、満を持して1566年の正月開けに行動を起こしました。
謙信の行軍は、毘沙門天のごとく迅速に上州を抜け、臼井にたどり着きます。
臼井城は、下総の地を治める千葉一族の精鋭部隊が常駐する天然の要害です。謙信ほどの名将にかかれば、臼井城を落とせば千葉一族の居城本佐倉城など「造作もなく」落ちる城に見えたことでしょう。立地の面では本佐倉城も臼井城以上に恵まれていましたが、城に居る兵力は臼井城とは比べるべくもなく貧弱なものだったのです。
さて、防衛側の臼井城主原氏と、本佐倉城の主にして下総の守護である千葉胤冨は、この戦いを総力戦と位置づけ余念なく準備に励みました。堀を整備し、兵糧米を蓄え、沼を隔てた臼井城の搦め手ともいうべき師戸城にもいざというときの船を多数用意させるなど、入念に備えを固めたことと思います。
そして、ついに同年3月、謙信の軍勢が臼井の城下町まであと一歩の距離に陣取ったのであります。
この時の戦の状況については、臼井城の記事を書くときに詳述しますが、この籠城戦は一ヶ月以上続いたようです。最期には、本丸まで「堀一重」のところまで謙信の軍勢が迫るほどの激戦であったそうです。
結果、臼井城からの決死の部隊が攻め手の上杉勢に襲いかかり、見事謙信を退却させました。
このとき、謙信は将軍より上洛を督促される書状を受け取っていたとされ、あとひと圧しをすることができないままに臼井の地を去った可能性を言及している書物もあります。
いずれにしても、臼井城はこの激戦をなんとかくぐり抜けました。
この戦の結果が北条派である原、千葉側の勝利に終わったことで、関東の諸将はより一層北条に傾いていきました。
1566年の、越後上杉撃退という戦国末期に咲いた徒花のような出来事でした。この年からわずか23年後の1590年、臼井城も本佐倉城も戦一つせずに落城してしまうことを、このときは誰も知らなかったのです(あたりまえですが)。

◆一夜城公園

石碑表面。
石碑表面。

謙信の軍勢が陣地を設営した場所が、この「一夜城公園」です。
この場所は、臼井城から見て南側に位置し、今でもゆるい勾配が北東向きに下っています。
つまり、もし仮に臼井城から原の軍勢が討って出てきた場合でも、謙信の陣は勾配の上の側で迎え撃つことができるため、有利です。
そんな地勢と写真にある石碑を見る以外に、この公園で見るべきものはありません。閑静な住宅街にどこにでもある公園、といった風情です。また、この公園には駐車場もないため、車で来る場合は注意が必要です。
ここから臼井城跡までは2km弱といったところですから、天気が良い日などは臼井城跡に車を停めて、ここまで歩いてみてもいいかもしれません。歩くのが好きな方限定ではありますが、上杉勢が攻撃の際に歩いた道のりを踏みしめるのも、なかなかオツかもしれません。
千葉県佐倉市王子台3丁目13

道路側から見た石碑。謙信が陣を構えた経緯などが平易な文章で紹介されております。
道路側から見た石碑。謙信が陣を構えた経緯などが平易な文章で紹介されております。
こんな感じです。字は、ぎりぎり読めないでしょうか。すみません。
こんな感じです。字は、ぎりぎり読めないでしょうか。すみません。
公園入口。その名も、一夜城公園。
公園入口。その名も、一夜城公園。
公園は、いたって普通の公園です。
公園は、いたって普通の公園です。
コメント: 1 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    臼井由三 (木曜日, 01 6月 2017 13:38)

    拝見いたし大変参考になりました。父親の実家 麻績村に臼井城主 臼井六郎常安公の位牌があります、1560年頃だと思うのですが、麻績村に来た いきさつが分かりません。解る範囲でけっこうです教えて下さい、よろしくお願いします。