勝胤寺。千葉勝胤と佐倉惣五郎の伝承 1

◆はじめに

京成大佐倉の駅を背にして右手、線路沿いの人ひとりがやっと通れるくらいの細い小路を歩いていくと、左側に勝胤寺(しょういんじ)が見えてきます。
門の前に大きく「勝胤寺」と隷書体で書かれた大きな木製の看板がでておりますので、見落とすことはありません。
このお寺は、戦国時代本佐倉城を居城にし、下総の地を治めた千葉勝胤(かつたね)によって建立されました。
今回は、このお寺を建立した千葉勝胤の話と、江戸時代中期に作られたと言われれる、「地蔵堂通夜物語(じぞうどうつやものがたり)」の舞台となった勝胤寺の地蔵堂についてをお話いたします。

◆千葉勝胤

千葉勝胤といえば、佐倉千葉氏の中ではおそらく一番有名な惣領の名前なのではないでしょうか。酒々井町が誇る本佐倉城マスコットキャラクター「勝っタネ!くん」のベースとなった人物なのです・・・と言っても、うぅむ、少々マイナーでしょうか(すみません)。

さて、この千葉勝胤公とは、どんな人物だったのでしょうか。
千葉市中央区亥鼻の居城から佐倉の地に移ってきた馬加(まくわり)系千葉氏としては、輔胤→孝胤(たかたね)→勝胤、となりますから三代目にあたります。生没年は、およ そ1470年から1532年まで。同世代の有名の武将としては、北条早雲の息子である北条氏綱(1487年生まれ)や太田道灌(1432年生まれ)が、 まぁ近いといえば近いです。戦国初期は混沌としていて、あまり有名な武将がいないんですね。

 

>>勝胤寺。千葉勝胤と佐倉惣五郎の伝承 2

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