吉川英治の母と嶺南寺

嶺南寺は、吉川英治の母いくのご実家である山川家の菩提寺です。
ちなみに、いく自身の墓は横浜市の蓮光寺にたてられましたが、吉川英治の没後、多摩墓地に合葬され現在にいたるようです(草思堂から)。

※この参照先の「草思堂から」というサイトは、吉川英治記念館の学芸員の方がやっておられるブログで、吉川英治を知る上で欠かせない情報を掲載されております。とても読みやすいブログですので、ぜひご一読ください。

そんなわけで、吉川英治氏とは若干遠い関係のお寺になりますが、彼のルーツのひとつでもあるので紹介させていただきます。

お寺の紹介は、「ちばの観光まるごと紹介」というサイトの文章がよくまとまっておりますので、申し訳ないですがそのまま紹介させていただきます。
【以下参照文】
曹洞宗の嶺南寺は、寛永19年(1642年)に当時の信濃松本藩主、堀田加賀守正盛の佐倉移封と共に松本より佐倉に移り建立されました。本尊は「釈迦牟尼佛」で開山は陽南良雪大和尚です。本堂内には閻魔大王を安置しています。境内には作家・吉川英治の母方である山川家の墓があります。佐倉七福神の弁財天を祀る札所としても知られています。
【以上参照文】

佐倉中学を背に東へ進み、中央図書館をすぎると左手に佐倉小学校に入る小道がみえます。その小道を入ると、寺院が密集している地帯になります。

佐倉城にかぎらずなのですが、近世のお城の近くにはこのようにお寺密集地帯がある場合が多いです。理由はいくつかありますが、士族や領主の菩提寺が城の近くにあったほうが便利だから、とか、江戸時代はお寺が市役所の戸籍係を兼ねていましたから、その意味でも密集していたほうが利便性が高かった、とか。戦国時代の城と寺の関係のように、防衛や武士だまりができる場所を作るためのものではなく、江戸期のそれはもう少し自然発生的なものだったのでしょう。ちなみに、この小道にあるお寺には、堀田家の菩提寺である甚大寺や、佐藤泰然の菩提寺である宗圓寺もあります。そしてもちろん、いくのご実家の菩提寺である嶺南寺もこの小道の一角にあります。

境内に入ると、立派な梅の木がありました。

お寺の方の案内で墓地へと進みます。境内の中のゆるい坂を下ると、右側に山上家の墓が見えました。

これが、山上家のお墓です。史跡というよりは、いわゆるお墓ですので参拝する際には気をつけたいところです。

江戸詰執政を務めた佐倉藩の重鎮池浦氏も、このお寺に眠っておられます。

幕末の蘭学医である浜野了元も、このお寺を菩提寺としております。写真ではわかりにくいですが、とても大きなお墓でした。

コメント: 0 (ディスカッションは終了しました。)
    まだコメントはありません。