師戸城跡にいってきました

臼井駅からみるとほとんど真北に500メートル程度いったところに、臼井城跡があります。
そこから、さらに北へ1.5キロほどいくと、西印旛沼をへだてて師戸城というお城の跡があります。
現在は西印旛沼を南北につなぐ「船戸大橋」がかかっているので、臼井-師戸間は車で行き来することができますが、橋がかかる1963年までは「舟戸の渡し」という渡し船が唯一の交通機関だったようです。わりと最近まで、渡し船だったんですね。
さて、今回とりあげるのは「師戸城」です。臼井城からは目と鼻の先にあり、臼井城主にとっては、「水運を使った搦め手」ともいうべきお城だったのではないでしょうか。

印旛沼と佐倉千葉氏与党の諸城
印旛沼と佐倉千葉氏与党の諸城

上図は現在の地図をキャプチャしたものなのでわかりにくですが、中世の印旛沼は香取海といわれる大きな内海で、イメージとしては京成本線の北側に沿って香取海が迫っていたようです。
師戸城跡は、現在「印旛沼公園」になっており、城跡とわかる目立った案内は見当たりませんでした。立地としては、臼井側から車で北上すると船戸大橋を渡って割合すぐに入口があります。
駐車場までの道はゆるいスロープで、上がり切ると思いのほか広い駐車場に到着します。
公園に入るとすぐに、写真の掲示板があります。

掲示板に描かれた図で城のざっとした縄張りは確認できますが、現在地の表示と公園内の施設との照らし合わせが ないために、ちょっととまどいます。そんなわけで、下のサイトにあった公園の見取り図のキャプチャを掲出しておきます。
http://www.pref.chiba.lg.jp/kouen/toshikouen/guidemap/inbanuma/annaizu.html

これを見ると、公園東側の芝生広場が本丸、展望台のあたりが二の丸、野球場のある自由広場が三の丸ということになりそうです。
だいたいの立地がわかったところで、師戸城の歴史についてちょっと書いてみたいと思います。

掲示板を見ると、師戸城の成立は14世紀とあります。14世紀といえば、世は鎌倉の末期から室町成立の動乱期、下総の地を治めていた千葉一族は、権力の激しい移り変わりに翻弄されていました。
1333年、鎌倉幕府が足利尊氏や新田義貞らによって倒された後、御家人衆は後醍醐天皇に反旗を翻した足利方と、あくまで天皇を擁護する新田派に分かれて争うことになります。
その折、千葉一族も足利方を強く推す肥前千葉氏と、京都の地で動かない千葉介千葉氏がおり、必ずしも一枚岩ではなかった時期です。
この後も、室町幕府は観応の擾乱などにより「勝ち残る武家のてっぺん」の一つの椅子をめぐる争いが続いたのが、14世紀です。
ちなみに、千葉一族の庶流である臼井氏が臼井城におさまった時期は平安末期です。とっても昔。最初の臼井城主である臼井常安は、12世紀初頭から末にかけて生きた人物で、千葉常胤とともに源頼朝に仕えたこともあるようです。
仮に、その臼井常安という人物が12世紀初頭に今の臼井城の原形を整えたとすると、師戸城ができるまでに100年以上の時間が流れたことになります。その「師戸城なし」の百数十年という時間は、そっくりそのまま鎌倉時代、というわけです。
城を作るというのは、ざっくり言えば戦に備えるという意味にあたるわけで、そう考えると鎌倉時代というのがいかに千葉一族にとって「比較的安心だった時代」であったのかがわかります。
師戸城の初代城主は、臼井氏四天王の一人である師戸四郎だろうということです。臼井氏四天王って、どんな人たちだったんでしょうね。
この城、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐の折、本佐倉城や臼井城などの城とともに豊臣方の手に落ちる、というか、城が明け渡されたそうです。
ちょうど同じ時期の攻城戦を描いた小説が「のぼうの城」で、映画にもなってますので、興味があったら是非。小説、映画ともにとても面白いものでした。まかり間違えば、師戸城や本佐倉城や臼井城だって、ああいうことにならなかったとも限らない。
師戸の本丸の土塁から印旛沼を眺めたとき、印旛沼という巨大な内海を中心にした本佐倉城、臼井城、師戸城という3つの城が、もし一人の強力なカリスマのある人物の元で「一つのまとまりとしての政治・戦略拠点」として利用されていれば、あるいは・・・なんて考えたりしました。

【おわりに】

梅園の祠
梅園の祠

上に既出の図でいうと「梅園」の奥に、私と一緒に城跡を歩いていた兄がこんな祠をみつけました。この石のくり抜きの中には、小さなお地蔵さんか何かがあったのだと思いますが、今はぽっかりとした空洞があるばかりです。
この石の、向かって右側の側面を拝見させていただいたのですが、そこにはくっきりとした文字で享保と彫られていました。八代将軍吉宗の改革や、飢饉のあった享保に、誰が、どんな思いでここに祠をたてたのか、しばし考えてしまいました。

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